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神武東征①

歴史のことなので、いくら調べても完全に再現するのは不可能だとしても、ある程度はあらすじが見えたような気がします。神武東征という出来事は日本書紀では紀元前660年の出来事とされています。神武が初代天皇として10代目が崇神天皇になりますが、崇神天皇の即位は248年頃ですので神武と欠史八代で900年ほど経過したという計算になります。当然それはありえないわけで、ここが日本史をぼやけさせている一番の原因とも言えます。神武東征から欠史八代をきれいに再現することはできませんが、とりあえずこのあり得ない900年の謎を解明したいと思います。

大筋としては神武東征は二回の歴史的事蹟の組み合わせとなっています。紀元前660頃の神武東征紀元前60年頃の神武東征の2つの出来事があり、それを混ぜ合わせたものが日本書紀での神武東征として書かれています。

紀元前60年頃の神武東征

まずは紀元前60年頃の神武東征を考えてみます。年代は少し曖昧で、これから書きますがニギハヤヒという人物を曖昧にするために少し年代が前後しているように感じます。紀元前60年頃の神武天皇はこのニギハヤヒとその子タギシミミ、そして道臣命を一人に集約した人物だと推測されます。

歴史の大筋としては、日本では全国が複数の国に分かれ、西日本は稲作が定着しさらに青銅器や鉄器などが使用されるようになっています。九州では須玖岡本遺跡や三雲南小路遺跡(前2世紀?1世紀)などから当時の様子をうかがい知ることができます。前漢鏡の数や大きさが権力と比例していたようです。出雲や近畿地方では銅鐸が盛んに作られている時期です。

周辺国では前108年に朝鮮半島で衛氏朝鮮が滅亡し、漢が四郡を設置します。日本、特に九州地方にとってはこれは緊張を高めることになったのか、もしくは逆に朝鮮半島からの圧力が和らいだのか、ここは不明です。この頃は中国大陸や朝鮮半島からの移民が増えたというのは推測できることで、徐福の船団や新羅の前身である辰韓などの勢力が新たな技術をもたらしていたのかと思います。

ニギハヤヒ

ニギハヤヒという人物は神武東征の際近畿地方で神武と争い、最終的には長髄彦を裏切り殺し神武に服したとされる人物です。先代旧事本紀では「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)」という名で、いかにも重要人物のような名前です。「天火明(アマノホアカリ)」はニニギの兄とも長男ともされている人物で、ホツマツタエによれば奈良県の飛鳥あたりを拠点とした勢力とされています。その「櫛玉(くしたま)」ということで、ニギハヤヒはホアカリの転生だと認識されていたと思います。紀元前1世紀頃の近畿地方、つまり銅鐸を神宝としていた集団の代表的な王だと考えられます。まずこのニギハヤヒに神武天皇を投影していると考えられます。

生年は前90年ころ、出生地は不明ですが、秋田県の唐松神社を見ると渡来人である可能性があります。この頃南東北や北関東では仙台を中心とした日高見国という国があり、また関東東海地方にはホツマ国という国もあったようで、ニギハヤヒは短期間にこれらの国を平定し、王として君臨したのかと思われます。ニギハヤヒは大和で神武天皇に降伏する際、自ら平定した東国も神武に差し出した、という話もあります。日本に渡来後、短期間で東国をまとめ上げ、福島県の勿来から船で大和を目指した、という感じかと思います。ここはまだ詳しく調べる必要がありそうです。

複数の妻がいたと思いますが、代表的な人物として吾平津姫、タギシミミを産んでいます。あと長髄彦の妹である三炊屋媛、ウマシマジを産んでいます。これは確信しているわけではないのですが、三炊屋媛というのが媛蹈鞴五十鈴媛命のことで、長髄彦の妹ではなく娘ではないのかと考えています。このあたりに年代の前後がありニギハヤヒは封印されています。

単純化するとこうです。タギシミミとウマシマジの確執から欠史八代につながります。

タギシミミ

タギシミミは吾平津姫の子です。タギシミミ自体は神武の死後義母である媛蹈鞴五十鈴媛命を娶ろうとし、媛の息子である日子八井命、神八井耳命、神渟名川耳(綏靖天皇)によって殺されてしまうという反逆伝承で知られています。というよりそれしか知られていないので悪名だけが後世に伝わっている状態です。ですがタギシミミは大変重要な人物であり、父ニギハヤヒと共に神武天皇のイメージを構成する主要な人物と考えられます。

生年は前60年頃、出生地は奈良県の橿原市か、もしかすると日高見国かもしれません。母の吾平津姫についても出生地は諸説ありますが、福島県の安達郡あたりかと思います。ニギハヤヒ、吾平津姫の夫婦は何らかの理由で日高見国から奈良県にある大和国へ移住したと思います。

妻は五十鈴依媛命です。綏靖天皇の后とされている人物です。30代後半の頃にまだ10代の五十鈴依媛を娶ったようです。息子がいて尾張連につながるとありますがここは不明です。紀元4年頃死亡したと思います。

書いていると長くなりそうなのでとりあえずここまで。前1世紀の神武を構成する主要な二人(ニギハヤヒとタギシミミ)についてまとめました。

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