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神武東征②

神武東征については初代天皇のことですので、大体のあらすじは知っているとは思いますが、とりあえず簡単にながれを書いてみます。

  1. 九州地方にいた神武天皇(神日本磐余彦、彦火火出見、ウガヤフキアエズ命の四男)が葦原中国(近畿地方)へ遷都しようとする。
  2. 速吸乃戸で珍彦(椎根津彦)と出会い道案内をさせる。
  3. 筑紫の宇佐へ到着、天種子に宇佐津姫を娶せる。
  4. 吉備の高島宮で3年過ごす。
  5. 準備が整い東征へ出る。河内国へ到着。
  6. 孔舎衛坂で長髄彦軍と戦い兄の五瀬命が矢傷を受ける。それが原因で死亡。
  7. 日に向かって敵を撃つより日を背にした方が良い、ということで紀伊半島を迂回することとする。
  8. 熊野で暴風雨にあい、兄の稲飯命と三毛入野命が死亡。
  9. 八咫烏の案内で宇陀へ到着、兄猾、弟猾と争い勝利。道臣命が来目歌を歌う。
  10. 八十梟帥、兄磯城、弟磯城などに勝利。香久山の土を取り土器などを作らせる。
  11. 長髄彦軍と対峙する。金鵄が舞い降りる。
  12. 長髄彦の主君であるニギハヤヒが天孫の印を持っており、それが偽りではないことを確認する。
  13. 抵抗をやめない長髄彦をニギハヤヒが裏切り帰順する。さらに周辺の部族を平定。
  14. 東征から6年、大和を平定し橿原に都を造る。媛蹈鞴五十鈴媛命を皇后とする。

細かい描写はまだありますが、概ねこのようなストーリーとして認識されています。この話のなかには前660年の神武東征と前60年の神武東征が混ざっており、正しいような話でどこかおかしい、ということになっています。前660年を考える前にまずは前60年から明らかにしたいと思います。上でも少し出てきますがニギハヤヒを中心人物として前60年の神武東征を考えてみたいと思います。

紀元前1世紀頃の九州北部

当時の九州北部の様子ですが、明確にはわからないものの糸島市にあった伊都国、福岡市にあった奴国、大分市にあった豊国、あとはその他という感じで存在していたと思います。伊都国と奴国は朝鮮半島からも近く、海外の文物も手に入りやすいので当時日本では最も発達していた地域かと思われます。豊国についてはここは王都の機能があったのではないかと思われます。ウガヤフキアエズを祖としたウガヤ朝の王都です。ニニギから続く天孫の系統で、伊都国や奴国もそれに敬意を払っていた周辺国だったと感じています。豊国を中心とした緩やかな連合で、伊都国は軍事、奴国は商業などと特化した性質を持っていたと考えています。

紀元前1世紀頃の近畿地方

当時の近畿地方で特筆すべきなのは銅鐸です。これは祭祀の道具で「出雲の神宝」というのは銅鐸のことだと思います。山陰、山陽、四国の一部、近畿、中部あたりで分布が見られます。銅鐸もそうですが、これらは中国大陸からの技術流入があったのかと思います。徐福の船団も考えられますし、朝鮮南部の辰韓と山陰、北陸が海路盛んに貿易を行っていたとも考えられます。金属器の鋳造技術を手に入れたことで急速に力をつけつつあったという時代背景が考えられます。

五瀬彦の死亡

神武東征の引き金となったのは五瀬彦の死亡だと考えています。五瀬彦は50代続くウガヤ朝の皇太子であり、51代目のウガヤフキアエズとなる予定だった人物です。当時五瀬彦は琵琶湖東部の多賀あたりを拠点としており、琵琶湖から京都盆地を通り、瀬戸内海から海路九州へと連なる海上貿易を行っていました。これは出雲や大和のすぐ側を通過しており、九州豊国はそれらを制するほどの力を持っていたはずです。大和では長髄彦が力をつけており、この貿易の要所である大阪と京都の間の山崎の関を遮断したことで戦乱へと発展します。孔舎衛坂で激突した五瀬彦と長髄彦ですが、勝利したのは大和の長髄彦で五瀬彦は矢傷がもとで戦死します。長らく九州には歯が立たなかった大和は大いに湧いたと思います。

神武東征

五瀬彦戦死の報は九州にも及び、報復として伊都国が軍を用います。当時の有力な国である出雲も伊都国に加担したようです。この伊都国が軍を用いて大和へ侵攻した、というのが前60年頃の「神武東征」です。そして紛らわしいですがここでの神武は伊都国軍の将日臣命(道臣命)のことです。

西から攻めるのは備えが厚いとみて紀伊半島を迂回します。ただ地理には疎かったので八咫烏に道案内を求めます。八咫烏というのは熊野市波田須あたりに流れ着いた徐福一行の末裔ではないでしょうか。宇陀から大和へ入り、長髄彦、ニギハヤヒと対峙します。ニギハヤヒは伊都国に寝返り服属します。大和は平定され伊都国の支配下に入りました。この年が辛酉年、紀元前60年だと思います。

天磐船

ニギハヤヒは様々な理由から日高見国の出だと思います。日本書紀でも神武東征より先に「天磐船に乗ってニギハヤヒが葦原中国へ降りてきた」とあります。天磐船というと空を飛ぶ石の舟、みたいなイメージで宇宙船ではないかという人もいますが、普通に福島県磐城あたりからの船団ではないかと考えます。近畿と九州で戦乱があり、それに乗じて日高見国が率いた船団が天磐船で、その長がニギハヤヒなのではないでしょうか。日高見国は遠い昔奈良県飛鳥を拠点としたホアカリの末裔が住む土地で、この戦乱を機に古地奪還を目論んだ、ということです。なぜそう考えるのかというとそれが前660年の神武東征と関連してくるからです。紀元前7世紀に起こった出来事と紀元前1世紀の出来事が上下左右逆にして起こっているように見えるのです。

ちょっと複雑になりましたが、とりあえずまずは前60年頃の話です。近畿と九州で戦乱があり、日高見国も近畿に加勢したが寝返り、伊都国が大和を平定した、というところまでを見ました。まだ続きます。

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