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神武東征③

前60年辛酉の年、伊都国は大和を平定しニギハヤヒは道臣命に帰順しました。長髄彦は殺されたとも言われていますが、津軽へ落ち延びて諸族をまとめ荒吐族となった、という説もあります。兄の安日彦とともに多くの人民を引き連れ移住したとあり、東日流外三郡誌ではその詳細な記述が残されています。青森県南津軽郡にある垂柳遺跡は弥生時代の稲作跡であり、長髄彦らが津軽へ逃れた後の弥生人の生活跡だと思います。その後荒吐族は力を蓄えつつ近畿を奪還する準備をしており、そしてそれは遠い未来ではなく、70年後ほどに現実となります。

媛蹈鞴五十鈴媛命

神武は当地で事代主の娘である媛蹈鞴五十鈴媛命を正妃とします。この「神武」はニギハヤヒであり、媛蹈鞴五十鈴媛命は長髄彦の娘なのではないかと思います。長髄彦の子で夷三郎という人物がいたとされており、アタツクシネと呼ばれる人物と重なります。媛蹈鞴五十鈴媛命はその妹であり、この兄妹はニギハヤヒに仕えながら、滅ぼされた大和の再興をうかがっていた感があります。媛蹈鞴五十鈴媛命はウマシマジを生み、後にタギシミミと争いそれを退けます。道臣命とニギハヤヒは大和を制しますがその支配は長くは続かず、70年後に別の系統がそれを奪還する形となります。

ウガヤ朝の滅亡

道臣命とニギハヤヒは意気投合し、その軍勢は豊国へ向かいます。豊国はウガヤ朝の王都でありその王統は50代も続いていました。皇太子の五瀬命はすでに戦死し、国の命運は尽きかかっていたのでしょう。神武東征での戦地は近畿地方の奈良盆地ですが、日本書紀の記述から九州大分が戦場だったのでは?との思わせる節があります。

出征してすぐ速吸乃戸で珍彦(椎根津彦)と出会い道案内をさせた、といいますが、速吸乃戸は兵庫県の明石海峡のことだと思います。椎根津彦を調べれば兵庫県に縁のある人物のようです。神武が出征して速吸乃戸(明石海峡)で椎根津彦に出会い、次の地は宇佐です。東征ではなく西へ向かっています。ここは豊国の王都で宇佐津彦と宇佐津姫がおり、宇佐津姫を天種子命に娶せたとあります。これは豊国の首都宇佐を陥落させた、という意味ではないでしょうか。つまり道臣命とニギハヤヒは兵庫で椎根津彦を味方につけ、豊国の宇佐を攻め落としたのです。

600年の空白の謎

これで前660年から前60年の間に何があったのか理解できます。ここには50代に渡るウガヤ朝の王統があり、日本書紀ではそれがそっくり抜け落ちているのです。なのでニニギ、ホオリ(彦火火出見)、ウガヤフキアエズの次がいきなり五瀬命や神日本磐余彦となっているのです。前660年の神武東征はホオリ(彦火火出見)であり、ホオリはホアカリの拠点である飛鳥を陥落させ、その子ウガヤフキアエズは九州でウガヤ朝を創始します。神武の名前に彦火火出見が付くのもこれで納得がいきます。そして約600年後にウガヤ朝を滅ぼしたのはニギハヤヒ(ホアカリの転生)であり、これらの事蹟を相殺させた話が神武東征として描かれているのです。ちなみにホオリ(彦火火出見)はこの時代タギシミミとして転生していると考えられます。なので神武にはタギシミミの事蹟や人格も投影されています。

ウガヤ朝も天孫の王統ですが、ニギハヤヒも天孫の印を持っておりそれは本物であると確認しています。ニギハヤヒは道臣命と立場を逆転させ、ついに神武天皇となります。王都は宇佐を使わず、近畿に戻り橿原を都にしました。この時が正式な神武(ニギハヤヒ)の即位であり、紀元前34年頃のことだと思います。ニギハヤヒは60歳近く、タギシミミは30歳前後です。ウマシマジは25歳くらいでしょうか。池上曽根遺跡や唐古鍵遺跡などはニギハヤヒが即位した頃の集落の姿かと思います。

ニギハヤヒの治世

ニギハヤヒは橿原を都とし周辺の国々を服属させていきます。さらに王として君臨しつつ各種の祭祀や文献の整理、暦や学問などの整備を行ったのだと思います。ホツマツタエの前半部分は描写も美しく内容も多岐に渡っており、著者のクシミカタマとはニギハヤヒのことではないかと思うのですが少し確信が持てないでいます。ニギハヤヒはまさに王としての仕事を行っており、日本の初代天皇としてふさわしい人物だったと思います。

皇子のタギシミミはまず紀の国(和歌山市)を治め、更に越の国(北陸、新潟)を平定します。この功績により弥彦の名を賜ります。新潟県にある彌彦神社はその本拠地かと思います。ちなみに祭神である天香久山命というのはタギシミミのことであり、高倉下という別名もあります。タギシミミだけを見れば反逆者のようですが、天香久山や高倉下の事蹟を合わせ見れば神武の人格を表すのにふさわしいことがわかります。皇子であるタギシミミがこの地を治めた背景には荒吐族への警戒があったと思います。最も信頼できる皇子を最前線の守りに当て外敵を警戒しましたが、反対に内の備えが疎かになってしまいました。媛蹈鞴五十鈴媛命とその兄アタツクシネ、そして子のウマシマジは皇統を乗っ取り大和を再興しようと機会をうかがっていたのでしょう。それがタギシミミの反逆として後世に残り、善政の部分は隠蔽されてしまいました。

歴史の隠蔽

神武天皇は日本の初代天皇として実績、人格ともに申し分ない人物だったと思います。しかしその後の戦乱を経て歴史は改ざんされ、ニギハヤヒは目立たなく封印されてしまい実像がつかめなくなってしまっています。神武はただのおじさんのようであり、タギシミミは変質者のイメージです。これは2代目綏靖天皇の即位が大きく関与しています。この際の混乱から欠史八代へとつながるのですが、注意深く調べていくと遠い昔に葬られた歴史の闇が明るみになってきます。

内容が整理でき次第それらも書いていくのですが、これらは私が各種の資料を読んでその真偽を取捨選択し、道理として納得のできるあらすじへと再構築しているもので、私自身もどこまで真実なのかはよくわかりません。ただ空白の4世紀についてもそうですが、資料を読んだり現地へ足を運んだりすると私はなんとなく歴史の筋書きがみえてくるのです。これも一つの才能ということで、わかったことはできるだけ書いておくことで後の日本史の研究に役に立てばと思っています。個々の出来事についてより詳しい専門家の方や、神社や大学などで古文献や考古学的資料に直接触れることができる立場の人などから、様々な角度で検証してほしいと思います。

まとめ

前60年の神武東征についてはとりあえずここまで。封印されたニギハヤヒとウガヤ朝の存在、なぜ神武東征が前660年なのか、というところを明らかにしました。何か書き残したことがあれば後で付け足します。タギシミミのその後や前660年の神武東征などは別にまとめたいと思います。

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