ふとまに

占いの視点を用いて古代史を研究しています。

空白の4世紀を解明する鍵

ヤマトタケルは死んでいなかった

空白の4世紀と言われる所以は中国王朝の記録に当時の倭国の記事がない、というのも大きいですが、日本書紀における4世紀は仁徳紀に重なり、それをそのまま4世紀の年代に当てはめるのには少し無理がある、というのも理由の一つだと思います。仁徳天皇は16代天皇で、15代が応神天皇、14代が仲哀天皇、その后が神功皇后で、日本書紀を読むと4世紀の出来事の記述だと思われるのは仲哀天皇から応神天皇にかけての期間のように読み取れます。仁徳天皇を年代通り4世紀の人物(313年即位、399年崩御)だとすると、では神功皇后摂政紀にある三韓征伐や七枝刀、百済王に関する記述は一体いつの出来事なのか、仁徳天皇が応神天皇の子であるのならば、仁徳紀は5世紀の出来事なのではないか、など疑問が残り、中国王朝での記録がないことも相まって空白の4世紀とされているのだと思います。

死を偽装した可能性

5世紀の日本でも書いた戦国時代の考え方という記事があります。明智光秀が実は死なずに南光坊天海になったのではないか、というのはよく知られた説で、私もその可能性は十分あると思っていました。それに加えて小早川秀秋も本当は死んではおらず、林羅山になったのではないか、と思いついた際、「死んではおらず実は生きていた」というのが古墳時代のヤマトタケルにも当てはまるのではないか、とふと思いました。そうであれば景行天皇の次の天皇である成務天皇こそがヤマトタケルなのではないか、という考えに至り、その考察を深める中でヤマトタケル=仁徳天皇という説を導き出すことが出来ました。

日本書紀という特殊な書物

歴史上の人物が「死んではおらず実は生きていた」と考えること自体は特に高いハードルがあるわけでもありません。古代史において現在の主流である「王権の成立過程を順番に、それぞれ架空の天皇の物語として創作した」という考え方よりは、文献や歴史的事実に対する姿勢としてより誠実で前向きだと思います。今となっては、なぜヤマトタケルに対してその疑問を真剣に投げかけていなかったのか、というのが不思議に感じてしまします。それは多分私が最初に日本書紀を読んだ時に感じたあの感覚、資料としても扱いづらく物語としても中途半端、こんな印象を日本書紀は読む側に与えてしまい、まともに考察しようという意図を挫いてきたのではないかとも思います。
中国の古典を読むのが好きだった私は、日本にも論語や易経のような、当代一流の学者たちが時代を超えて真剣に解釈を競うような文献があれば、という思いで日本書紀を手に取りました。しかし一通り読むことは出来ても、当時の私の知識ではこれを解釈し意味のある考察を導き出すのは無理だと諦めました。それから20年以上たった今、あの時不可能だと思った日本書紀の解読に少しだけ光が差してきたような気がしています。一つ一つの出来事に対して、なぜこれが書いてあるのか、本当にそれはあったのか、本当の時代はいつなのか、逆のことが書かれているのではないかなど、自分の頭で考えながら読み進める必要があります。
日本書紀編纂時、ヤマトタケルが死を偽装したことを知っていたのなら、普通にそう書いていればよかったはずです。なぜこのような複雑で難解な歴史書になってしまったのか、諸説あるとは思いますが、一つの意見として日本書紀の試みという記事で解説してあります。

文献資料の限界

その記事でも書いたのですが、ヤマトタケルが仁徳天皇だというのは、ヤマトタケルの転生後の姿を予測し、それを仁徳天皇として描いたからだと説明しました。ただしこれは歴史の説明としてふさわしくないというか、論拠としては認められないだろうと思っています。なので今回、再度空白の4世紀の検討を行い、できるだけ文献資料や考古学的成果に基づいて説明してみようと試行錯誤しました。しかしどう頑張っても小手先の年代の一致であったり、様々な矛盾のある記述から都合よく一つの説を当てはめてみたりなど、説得力に乏しい解説になってしまうことがわかりました。自分では空白の4世紀はほぼ解明されたも同然で、それを元に5世紀の日本まで考察を押し進めたというのに、その自信とは裏腹に提示できる論拠が極めて薄いという問題に直面しました。

占いによる歴史観とは何か

なぜ私がここまで自信を持ってこの説を押し進めたのかというと、それは私の考えている「占いによる歴史観」を用いれば、上記の説を十分に説明できると考えているためです。そして正史である日本書紀が、同じような考え方で書かれていたことを発見し、自説を確信するに至りました。
そこで文献資料などでは論拠が薄いというのであれば、いっそのこと私の「占いによる歴史観」を日本書紀の後押しのもとでそのまま説明してしまえばいいのではないかと考えました。なのでまずは、その「占いによる歴史観」はどのようなロジックで、ヤマトタケルが仁徳天皇であるという結論に至るのか、そしてそれは日本書紀とどうつながっているのかを解説しようと思います。また感の鋭い方は今までの説明ですでに理解できていると思うので、重複の説明になってしまいますことをご了承ください。つづく