ふとまに

占いの視点を用いて古代史を研究しています。

転生と因果応報

成務天皇

ヤマトタケルが死を偽装して生きていたとしたら景行天皇の次の成務天皇になったのでは、と私は考えました。ではまずは日本書紀の成務天皇紀を読んで⋯、というのが普通の手段ですが、私はある程度そのあたりの知識があったので、ほぼ一瞬でヤマトタケルは仁徳天皇なのでは、と思うに至りました。ですが普通はわからないと思いますので、順を追って説明していきたいと思います。

成務天皇紀

成務天皇紀
日本書紀 出来事
成務1年 即位。
成務2年 先代の景行天皇を埋葬。
成務3年 武内宿禰を大臣とする。
成務4年 国境の整理、国造設置を検討。
成務5年 国造設置、国境策定。
成務48年 仲哀天皇を皇太子に。
成務60年 成務天皇崩御。107歳。

成務天皇紀は特徴がないというか、読んでみると特に見るべき点はないように感じます。欠史八代のような簡素さで、テンプレート通りといった感じです。しかし5年から48年まで年代が飛ぶのが不自然で、更に飛んで崩御の記事と簡潔です。簡潔でありながら、その107歳という享年は強調しているようにも読み取れます。
成務天皇の前の時代、崇神天皇、垂仁天皇、景行天皇などは古墳が作られ始めた3世紀後半に活躍した人物です。実在したとすれば成務天皇は4世紀頃の天皇となります。しかし日本書紀の紀年を機械的に西暦に当てはめると4世紀の記述は仁徳紀(313年~399年)にあたります。ここをどう折り合いをつければ良いのか。

最大の英雄と最大の古墳

成務天皇は107歳まで生き、その活躍した時代は4世紀でそれは紀年上は仁徳天皇の時代(313年~399年)。仁徳天皇陵といえば日本最大の古墳としてあまりにも有名で、一方ヤマトタケルは誰もが知る古代の英雄。つまり仁徳天皇陵はヤマトタケルの陵墓なのではないか?仁徳天皇の崩御年は399年。成務天皇と仁徳天皇がヤマトタケルの実像だとすれば、107歳まで生きて死亡したのが399年ということではないか?こんなに長寿だったのか⋯、長寿といえば武内宿禰、つまり死んだとされるヤマトタケルは表立っては武内宿禰として活躍し、その実態は天皇そのものだったのではないか。107歳まで生きたとしてもありえないわけではなく、長寿の部分は記録に残った。ではヤマトタケルは293年生まれ399年死亡、成務天皇でもあり仁徳天皇でもあり、そして武内宿禰でもある。

仁徳天皇紀の隠された意図

とこれが私の説であるヤマトタケル=仁徳天皇の出発点となります。もちろんこれは憶測の憶測、といったものでその線は非常に細いと思います。ただし年代的には古墳時代前期なのでおかしくはなく、長寿で有名な武内宿禰でもあるのなら107歳まで生きたとしてもあり得るかもしれません。そして古代史の大きな謎である仁徳天皇陵が実はヤマトタケルの陵墓だったというのは、意外と説得力があるように思えました。
そうかヤマトタケルは仁徳天皇かもしれない。ならば日本書紀の仁徳紀を読んで見よう、というのも普通ですが、私はここで占いによる歴史観を用い、転生からの関連性を考えました。そこでヤマトタケルは明智光秀に転生したのだとすぐに思い浮かびました。死を偽装し、裏方にまわって王朝の礎を築いた長寿の人物、これはまさに明智光秀(南光坊天海)に他なりません。
そしてそう考えながら日本書紀を読んでいくと、それを暗示させるような表現、箇所が浮かび上がってきます。そして仁徳天皇は実在せず、ヤマトタケルの転生を見越して記述した予言の性格があると発見しました。さらに仲哀紀、神功紀、応神紀と読み進めて行くことで、古墳時代前期の光景がまさに霧が晴れるかのように、色鮮やかに目の前に浮かび上がっていきました。

「謀反人」の汚名

占いによる歴史観のわかりやすい例として、謀反の隠蔽と謀反人の汚名について解説してみようと思います。ヤマトタケルが死を偽装したならば、成務天皇こそがヤマトタケルだと私は思いました。そうであれば、ヤマトタケルは景行天皇を殺したか何かで王位を簒奪したのだろうと考えられます。一方でヤマトタケルは死んで白鳥となったとされており、簒奪者、謀反人などのダークなイメージをまとわずに後世まで語り継がれます。これは武内宿禰が、自身でもあるヤマトタケルのイメージを美化するために偽装したためだと思われます。
明智光秀といえばまず思いつくフレーズが「謀反人」だと思います。それまで異例の出世街道を突き進み、主君織田信長のみならず、皇室、将軍家からも信頼できる人物として期待されたいたと思います。しかしいきなり謀反を起こしその後の対応も場当たり的で、三日天下と呼ばれ歴史の表舞台から消えていきました。
つまりヤマトタケルは景行天皇に対して謀反を起こし、それを隠蔽し、更に自身のイメージを美しく偽装したため、転生した明智光秀では「日本史上最大の謀反人」というレッテルを貼られ、更に後世まで汚名を残したということです。転生をまたいだ因果応報の表出例となります。
ヤマトタケルと明智光秀の間には他にも色々と符合点が見つかります。以下表に示しておきます。

ヤマトタケルと明智光秀
ヤマトタケル 明智光秀
謀反を起こし王位を簒奪 謀反を起こすも三日天下で終わる
謀反を隠蔽しイメージを美化 謀反人の汚名を灌がず寿命を全う
現代でも古代史最大の英雄というイメージ 現代でも史上最大の謀反人というイメージ
死を偽装し武内宿禰となる 死を偽装し南光坊天海となる
大和王権を主導し王権を確立させる 江戸幕府の制度設計に携わり幕政の基礎を築く
長寿で有名(享年107歳と推定) 長寿で有名(享年108歳)

天武天皇の思い描いた仁徳天皇

天武天皇は仁徳天皇を描く時に、ヤマトタケルという人物のカルマを解消するのであれば、日本史上稀に見る聖君になるだろうと予測し、民の竈というエピソードを記載しました。明智光秀は聖君か、と問われれば、南光坊天海と名を変え江戸泰平の世の礎を築いたという意味では当てはまるかとも思います。しかし天皇でもなければ将軍でもないので、仁徳天皇とイコールというのには無理もあるかと思います。なので更に転生を重ね、聖君仁徳天皇として世に現れる可能性もあります。
ですが天武天皇の意図した、転生により因果を解消するため逆の出来事が起こる、という部分では、ヤマトタケルの謀反と隠蔽が、謀反人明智光秀という形で現れたことで、その構想は要素は違えど正しかったと言えると思います。

まとめ

ここまでヤマトタケル=仁徳天皇説の考え方を見てきました。私の「占いによる歴史観」と「予言書」日本書紀の考え方の一致、また仁徳天皇のモデルが転生後のヤマトタケルで、それは戦国時代の明智光秀に相当する、という流れを説明できていると思います。そしてこれは文献資料をいくら読み込んでもたどり着かない結論だと思います。天武天皇が後世解き明かしてほしいと期待して書いた未来へのメッセージであり、そして日本人の精神的な到達点を時代に刻むという意図もあったと思います。
この説ではいくつかの神秘的な前提を信じなくてはなりません。転生、因果応報、ソウルメイトなどがそれにあたります。死後の世界を扱うため、信仰、宗教と言った分野になるかと思います。次に空白の4世紀の年表を記載しますが、それを受け入れるにはこの説を「信じる」ことが前提になります。これは現代人にとって抵抗のある部分かもしれません。なので現代の学問としては成立せず、歴史学の本流とすることは難しいかと思います。
文献というのは嘘も書ければ改ざんもでき、抹消も可能です。それを信じるより、魂に刻まれた因果の法則を信じるべきではないか、それが天武天皇が日本書紀に込めたメッセージだと思います。私は1300年越しのメッセージを受け取り、それを空白の4世紀の解明という形で提示しました。もし以上の説を信じるのであれば、空白の4世紀の歴史を共有でき、しかも古来から日本人の精神性がこれほど高かったと誇りに感じることができるでしょう。
学術的にはハードルがあるので、私はこの方針で布教することに決めました。そして私と一緒にこの説を信じるのなら、続く空白の4世紀の年表と、それが史実の証拠となりうる部分の解説を見てほしいと思います。続きはまた後でアップロードします。