ふとまに

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弥生時代前期

稲作と渡来人

前提となる時代区分

古代の日本を大きく分類すると、縄文時代、弥生時代、古墳時代と分けることができます。この括り方にも多少問題はあるとは思いますが、ここでは分類自体の是非には焦点を当てず、とりあえず日本人にイメージしやすい上記の括りで話を進めていきます。

弥生時代の始まり

縄文時代と弥生時代の境目はいつの時代なのか、私が学生だった頃は紀元前3~2世紀頃だったと思います。しかし現在では紀元前10世紀頃まで遡っています。佐賀で見つかった稲作遺跡が紀元前930年頃と判明しており、とりあえず現状はこのあたりが弥生時代の開始時点としているようです。もちろん更に古い稲作遺跡が出てくればまた年代は繰り下がることになるので、これは未だに流動的とも言えます。つまり弥生時代初期(早期)というのは紀元前10世紀からということになります。
この弥生時代◯期というのが古代史における一つの大きな問題でもあって、よく研究者の文献を読んでみても弥生時代前期とか、中期後半とか説明されることがありますが、それは一体どの年代を言いたいのか、というのが読んでいる人に伝わらないということがあります。昭和の研究者が言う弥生時代初期は紀元前3~2世紀であり、平成の途中ころまでは紀元前6~5世紀頃となり、現代では紀元前10世紀となります。この年代の分類と統一はいずれなすべき課題だと感じています。
今回はそのあたりを整理するためにも、私が認識している弥生時代から古墳時代までの歴史の流れを簡単にまとめてみたいと思います。

二重構造説から三重構造説へ

よくアイヌ人や沖縄人と同系統の縄文人、稲作をもたらした弥生人という分けられ方をします。縄文人はY染色体ハプログループD1a2aの遺伝子を持つ人々で、アイヌ、沖縄人、東北や南九州、山陰などに多く分布しています。
弥生時代の始まりである紀元前10世紀頃から継続的に渡来人が日本へと移住してきます。彼らは主にY染色体ハプログループO1b2を持つ集団です。この2種族が混血し現代日本人を形成している、というのが二重構造説であり、長く支持されてきた説でもあるのですが、最近ではそれを発展させた三重構造説というものも出てきたようです。
3つ目は古墳時代に渡来してきた集団です。4世紀後半、高句麗の南下圧力が高まる中で三韓からの移民が来たことは文献にも残されており、東漢氏や秦氏などが知られます。やはりY染色体ハプログループはO1b2が主ということです。その後も日本と朝鮮半島との関係が続く中で多くが渡来し、高句麗や百済の滅亡時の難民もそれに加わるのかと思います。つまり古墳時代から奈良時代にかけて、日本と朝鮮半島は複雑な関係を持っており、これは後の時代にも無いほど密接なもので、その時代の交流が日本の民族を形成するうえで大きな要因の一つだったということでしょう。

西日本から徐々に広まった稲作文化

水田稲作の伝播ルート
水田稲作の伝播ルート
秋津中西遺跡
秋津・中西遺跡

弥生時代は紀元前10世紀頃、九州北部から始まった、というのはわかりました。そこから徐々に東へと稲作文化は拡散していくのですが、そのスピードは大変緩やかで、東日本はまだ縄文文化でした。前8世紀には四国、前7世紀には山陰まで広がりますが、私が重要視するのは奈良県御所市にある秋津・中西遺跡の水田跡です。調べによると紀元前6世紀初頭(前600年~前580年頃)から稲作が始まっており、これが紀の国を建国した五十猛命(気吹戸主)や大屋津姫命による開拓だと考えています。つまりスサノオの子の代です。ここは弥生時代における一つの区切りで、私はここまでを前期、秋津・中西遺跡のスタートからを中期と考えています。私が独自に考えているだけで異論はあるとは思いますが、文献から推測される歴史の転換点で区切るとこの時期になります。

史実から見る弥生時代前期

では紀元前10世紀~紀元前6世紀初頭(前930年~前600年頃)までを前期とすると、日本書紀や古事記などでは何が描かれているのでしょうか。先程秋津・中西遺跡の初期水田を五十猛命などの開拓とし、そこから中期としましたが、つまり前期の最後にはスサノオが活躍していた、ということになります。スサノオの親であるイザナギ、イザナミはどうかとなりますが、そもそも本当に親子なのかなど疑問点もありますが、両者は実在していたとして、四国や近畿地方における弥生文化と縄文文化の衝突が二神の物語に反映されていると考えることができます。アマテラスは私の説だと根の国(北陸)にいたハヤコで、彼女もこの時代でしょう。その前となるとオモタル、カシコネ、更に前になると国常立尊や豊斟渟尊などですが、彼らは縄文文化の神であると考えています。実在していたとしても弥生文化との関連はわからず、貝塚や縄文土器、製塩土器との関連を考えることになりそうです。なので何時どこで活躍したのか、と調べるのは現状困難です。
弥生時代前期の終わり、前650年~前600年ころ、イザナギやイザナミ、アマテラス(ハヤコ)やスサノオなどが活躍していて、その頃の近畿地方における弥生文化と縄文文化の摩擦が彼らの神話の土台になっていると考えています。

まとめ

ということで弥生時代前期は九州北部に水稲文化が伝播し、それが近畿へ広がるまで、となります。

年代 出来事 人物
前930年~前650年頃 朝鮮半島から水稲文化が伝播し、徐々に東へ拡大。
前650年~前600年頃 水稲文化が近畿地方にまで拡大し、縄文文化との衝突が起きる。 イザナギ、イザナミ、アマテラス(ハヤコ)、スサノオ

ここでの課題はやはりアマテラススサノオになります。以前アマテラスについてまとめました。大筋ではあのような出来事があったと考えますが、山陰や近畿、九州に韓国と時代の割に活動範囲が広すぎるような感じもします。スサノオは出生地がどこかもよくわかりませんが、ホツマツタエではソサノオという名前でソサは南紀にあたるようです。和歌山県にはすさみ町という地名があり、この辺りで生まれたというのも十分あり得ると思います。最終的には出雲を興すのですが、後年息子である五十猛命(気吹戸主)と何らかの確執があったのではないかとも考えています。スサノオの研究はやり甲斐があると思うので、私ももちろんですが多くの日本人に手掛けてもらいたい課題です。
次は弥生時代中期となります。