占い、歴史、宗教などの研究をしています。空白の4世紀や倭の五王など、日本史の謎を解明しています。

アマテラス③

出雲大社
出雲大社

ハヤアキツ姫

アマテル(男神)の西の正妃にハヤアキツ姫という女性が居ます。住吉大神カナサキの娘とされています。カナサキは後に筑紫を治める人物ですが、やはり時代が遠く離れています。事績を見ると国譲り前後の人物です。そうするとハヤアキツ姫はカナサキの娘ではなく、本当の父は時代は違えど同じ筑紫を治めたアカツチではないか、と考えます。アカツチの娘はハヤスウ姫とされています。つまりハヤスウ姫=ハヤアキツ姫ということです。スサノオが朝日宮で見初め求婚した人物というのがハヤスウ姫(=ハヤアキツ姫)です。ホツマツタエでは破談になりますが、実際は2人は結ばれ子も生まれます。松江市の売布神社では速秋津比売神を主祭神とし、五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命を祀っています。
しかし五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命の3人の母はヤマタノオロチから救った奇稲田姫というのが定説です。私はここでピンと来ました。奇稲田姫もハヤスウ姫(ハヤアキツ姫)と同一人物なのではないか、ということです。調べてみると奇稲田姫の父はアシナヅチでアカツチの弟、それを事実と見れば奇稲田姫はハヤスウ姫と従姉妹同士ということです。もちろん実際に従姉妹の可能性もありますが、奇稲田姫の逸話は少々伝説的で現実感は薄いです。まず姉7人がオロチに食べられるというのもありえないですし、奇稲田姫は櫛となってスサノオはそれを身に着け、酒に酔わせたオロチを倒す、というのも実話というより物語です。ハヤスウ姫の従姉妹、という設定にして同一人物を匂わせ、ハッピーエンドのスサノオの英雄譚に仕立てあげた、という感じでしょう。なぜなら実際はスサノオの妻ハヤスウ姫は殺されているからです。

ハヤスウ姫は上の項目でも書いたように、ハヤコに妬まれ殺されます。ハヤアキツ姫については妬まれ殺された、という話はありませんが、最初に天児(アマガツ)を作った人物という記述があります。子を模った人形を幼児に添わせることで罪穢れを肩代わりさせ、厄落としをするという行事です。これは厄落としのため子を一度川へ流すというヒルコに行った厄落としを思い出します。その縁のある廣田神社、ここはカナサキがヒルコを育てた場所、そしてハヤアキツ姫はカナサキの娘とされている、やはりハヤアキツ姫はホノコのイメージが強く感じられます。ホノコはアマテル(男神)との間に男児をもうけ、モチコに深く妬まれます。

つまり整理すると、スサノオの世継ぎを産んだ女性(複数かも)がいて、彼女(たち)はモチコ、ハヤコ姉妹に妬まれ殺された、ということです。それがヤマタノオロチによる女性の殺害という物語になります。
そして私はハヤスウ姫=ハヤアキツ姫(物語の奇稲田姫)を同一人物とし、その息子はスサノオの跡継ぎ大屋毘古神(五十猛命)と考えています。

スサノオ=ツキヨミ説

スサノオ=ツキヨミ説というのがあります。ツキヨミはアマテラスの弟にしては記述がほとんどなく、日本書紀における保食神を訪ねて行き穢らわしいと斬り殺した件も、古事記ではツキヨミではなくスサノオの話となっています。ツキヨミは実在しないのではないか、そういった考えは古くからあるようです。
ツキヨミはイザナギの右目を洗って生まれたとされています。アマテラスは左目です。これは盤古神話と酷似しています。盤古神話は中国南方地方に伝わる創世神話で、海洋民族だった彼らが渡来し、日本にも同じような神話が残っているのかもしれません。もしかすると、氷河期末期から同じ神話を持つ民族が、温暖化の海進で別々に住むようになり、1万年もの間同じ神話を守り続けてきた、とも考えられます。
つまり右目左目は神話の話であり、ツキヨミというのは架空の人物で、神話における太陽をアマテラスとすると対の月が必要となり、それをツキヨミに当ててバランスをとり、その実体はスサノオのことでしょう。

山陰地方とツキヨミ

島根県には千酌(ちくみ)という地名があります。出雲国風土記によればその由来は「伊差奈枳(イザナギ)の命の御子、都久豆美の命が、この地で生まれなさった。そうだから当然ツクツミというべきであるが、今の人は従来どおり千酌と名づけている」ということです。ツクツミ、ツキヨミのことでしょうか。
鳥取県の霊石山付近では白兎の伝説があります。アマテラスが八上行幸の際、行宮にふさわしい地を探したところ、一匹の白兎が現れました。白兎はアマテラスの御装束をくわえて、霊石山頂付近の平地、現在の伊勢ヶ平まで案内し、そこで姿を消したそうです。白兎はツキヨミのご神体で、その後これを道祖白兎大明神と呼び、中山の尾続きの四ケ村の氏神として崇めた、とのことです。
ツキヨミは島根、鳥取でこのように伝承がありますが、これは若き日のスサノオのことではないでしょうか。若きスサノオとアマテラス(モチコ、ハヤコ)はこのあたりで出会った、ハヤスウ姫との出会いも地理的に遠くない朝日宮(宮津市)あたりです。

気吹戸主

そう考えれば、ツキヨミの子とされている気吹戸主はスサノオの子ということになります。大屋毘古神、五十猛命、気吹戸主、これは同一人物ということです。スサノオと共に朝鮮へと渡り、帰国後持ち帰った木の種を植えてまわった人物です。母のハヤアキツ姫はモチコ、ハヤコに殺されます。気吹戸主は復讐のためスサノオと共にその軍勢を打ち払らい、モチコは斬られたか、もしくはハヤコと共に北陸へと逃亡します。気吹戸主が荒ぶる神として恐れられる理由は、母を殺され復讐に駆られたからだと考えます。
モチコ、ハヤコを追い払い、スサノオは出雲を建国、そして気吹戸主は紀の国を建国します。気吹戸主はその後九州、四国を勢力下に治め、葦原中国を支配します。これは200年ほど続き、出雲の国譲りの時代に滅亡します。奈良県にある石上神社はイソカミ神社と読み、建国の父五十猛神(イソタケル)を祀るものだったのではないでしょうか。
後に詳しく説明しますが丹生都比売神社も紀の国の重要な拠点であったと思います。朱の着色料として使う丹(水銀)の採掘はこの国の大きな特徴です。丹生都比売神社は和歌山県伊都郡という地名に座します。これは九州の伊都国と通じるところがあるのかと思います。これもまた五十猛命に因んでいると思われます。
なにかでちらっと読んだのですが、五十猛命の「五十」は五十音のこと、という記述です。ホツマツタエによればアワウタで五十音を広めたのはイザナギ、イザナミとされていますが、私はこれは五十猛命(気吹戸主、大屋毘古神)の功績ではないかと考えています。日本初の和歌はスサノオが詠んだとされます。今の日本語はスサノオとその子である五十猛命を起点とし、出雲、紀の国の繁栄とともに標準の日本語となったという説です。
名前がたくさんあって混乱してしまいますが、スサノオ側からは五十猛命と呼び、天津神からは気吹戸主と恐れられていた、という感じで使い分けたいと思います。あらためて大屋毘古神、五十猛命、気吹戸主は一人「スサノオの後を継ぎ、紀の国を建国した息子」のことです。

時系列の問題

しかし上記のように考えると腑に落ちない部分もあります。たとえばスサノオはヤマタノオロチを退治した後に奇稲田姫と結婚した、とか、スサノオと五十猛命は新羅から帰国後ヤマタノオロチを退治した、など、色々と時系列がおかしなことになってしまいます。これは推測を交えつつ、現実的に受け入れられる話に置き換えると次のような経緯だと思います。

  1. スサノオはモチコ、ハヤコを后とし、モチコは男児を、ハヤコは宗像三女神を産む
  2. スサノオは出雲(当時はサホコの国)でハヤアキツ姫を后とし、后は五十猛命を産む
  3. スサノオと成人した五十猛命は新羅へ旅に出る
  4. 帰国するとサホコはモチコとその一族に乗っ取られ、宇佐も陥落しハヤアキツ姫は殺される
  5. スサノオと五十猛命はモチコ・ハヤコ一味(ヤマタノオロチ)を駆逐し、スサノオは出雲を、五十猛命は紀の国を建国
  6. 更に五十猛命(気吹戸主)は根の国へと侵攻。ハヤコは逃亡し流離う。

このような流れだと考えます。現実的にあり得る展開でもあり、また後の時代、これと似たような、また逆にしたような歴史的事件をいくつか思いつきます。歴史は因果と業を解消しながら進むのであれば、大胆な仮説ながらも検討の余地はあります。さらにつづきます。